5大ドームと「街」の関係を比べる|誰が建て、何の跡地に建ち、街をどう変えたか

都市

東京ドーム、京セラドーム大阪、バンテリンドーム ナゴヤ、みずほPayPayドーム福岡、大和ハウス プレミストドーム。この5つはまとめて「5大ドーム」と呼ばれるが、成り立ちはまったく違う。同じ規格の建物が5都市に配られたわけではなく、それぞれの街の事情が最後にドームという形をとった、というのが実態に近い。

この記事では収容人数の話をいったん脇に置き、土地の来歴・事業主体・都市規模との釣り合いという3点から5つのドームを並べ直す。


1. 何の跡地に建っているか

ドームほどの巨大建築を都市部に建てるには、まとまった土地が空いていなければならない。5大ドームの立地は、その街が20世紀に何を手放したかを示している。

ドーム開場建設地の前身
東京ドーム1988年後楽園球場・競輪場の敷地(さらに遡れば陸軍の造兵廠跡)
みずほPayPayドーム福岡1993年地行浜の埋立地(アジア太平洋博覧会「よかトピア」会場跡)
バンテリンドーム ナゴヤ1997年三菱重工業 大幸工場の跡地(戦中は航空エンジンの一大拠点)
京セラドーム大阪1997年大阪ガス岩崎町工場の跡地(1964年廃止)
大和ハウス プレミストドーム2001年豊平区羊ケ丘の丘陵地(大規模な工場・都市施設の跡ではない)

ここに明確な3類型がある。

①「都市が使い終わった土地」に建ったドーム——名古屋と大阪。どちらも巨大な重工業・エネルギー施設の跡地で、産業構造の転換で都心近くに数万平米級の空白が生まれたからこそ成立した。工場跡だから幹線道路と鉄道が既にあり、住宅も周囲に張り付いている。ドームが来る前から、そこは街だった。

②「新しく作った土地」に建ったドーム——福岡。地行浜は埋立地で、1989年のよかトピア跡地というのは、要するに「使い道を決めてから土地を用意した」ということだ。5大ドームで唯一、ドームが街より先に存在した場所と言える。

③「まだ街ではない土地」に建ったドーム——札幌。羊ケ丘は市街地の縁の丘陵地で、跡地転用ではなく素地に建てた。用地確保は最も容易だったが、その代償として周辺に既存の都市機能がほとんどなかった。

土地の来歴の差は、後に「ドームの周りに街ができたかどうか」を決定づけることになる。


2. 誰が建てたか——民間主導か、行政主導か

5大ドームは事業主体でくっきり二分される。

民間主導が3つ。

東京ドームは後楽園スタヂアム(現・株式会社東京ドーム)という民間企業が自社の球場を建て替えたもの。バンテリンドームは中日新聞グループと名古屋の財界が出資する株式会社ナゴヤドームが主体で、旧・ナゴヤ球場の運営会社が母体になっている。福岡ドームはダイエーがホークス買収とセットで進めた「ツインドーム計画」の一部だった。

行政主導が2つ。

京セラドーム大阪は、大阪市を筆頭株主とする第三セクター・株式会社大阪シティドームが建設した。大和ハウス プレミストドームは札幌市が2002年のサッカーW杯招致を前提に整備し、第三セクターの株式会社札幌ドームが運営する。


そして、この線引きが後の明暗にほぼそのまま重なった。

大阪シティドームは開業後、テナント撤退と観客動員の伸び悩みが続き、2004年11月に特定調停を申請して事実上経営破綻。最終的に施設はオリックス側に移り、大阪市は巨額の債権放棄を強いられた。バブル期に構想された第三セクター開発の典型的な失敗例として、いまも語られる。

札幌ドームは、2023年に北海道日本ハムファイターズが北広島市のエスコンフィールドへ移転したことで収益の柱を失い、大幅な赤字に転落。2024年8月から大和ハウス工業がネーミングライツを取得して現名称になったが、市は5年間での黒字化計画を見直す事態になっている。


一方で民間主導の3つは、いずれも所有と運営が事業者に握られている。特に福岡は、ソフトバンクが2012年にドームを取得し、プロ野球12球団で唯一、球団が本拠地球場を所有・運営するという形にまで到達した。ダイエーの経営破綻で一度は外資系ファンドの手に渡った施設を買い戻した結果であり、失敗と回収の両方を経験している点で他と異なる。


3. 街の規模に対して、ドームは重すぎないか

ドームは維持費のかかる建物だ。街が大きいほど、その負担は分散される。 都市人口とドーム規模を並べると、それぞれの街がどれくらいの「重さ」を背負っているかが見えてくる。

ドーム所在市市人口(概数)収容規模の目安
東京ドーム東京都文京区(23区)約980万人5万人台
京セラドーム大阪大阪市西区約279万人5万人台
バンテリンドーム ナゴヤ名古屋市東区約233万人5万人前後
大和ハウス プレミストドーム札幌市豊平区約195万人4万人前後
みずほPayPayドーム福岡福岡市中央区約165万人4〜5万人

※人口・収容規模はいずれも概数。

東京ドーム

東京の場合、ドームが街に占める比重は極めて小さい。仮に本拠地球団が消えても、コンサート・展示会・イベントの需要だけで稼働が埋まる規模の都市圏が背後にある。東京ドームは「街が支える施設」ではなく、街の膨大な需要の受け皿の一つでしかない。

大和ハウス プレミストドーム・みずほPayPayドーム福岡

対して札幌と福岡は、人口比で見たドームの存在感が大きい。だからこそ、テナント1社——つまり球団——の去就が施設の存続に直結する。札幌ドームで実際に起きたのはまさにこれで、街の規模に対して大きすぎる箱を、球団抜きで埋めるのは容易ではない。福岡が球団自身にドームを所有させたのは、この構造的リスクを内側に取り込む解でもあった。

バンテリンドーム ナゴヤ・京セラドーム大阪

名古屋と大阪は中間に位置するが、両市とも都市圏人口が厚く、しかも近隣に代替の大規模施設が多い。ドームが唯一無二ではないぶん、施設単体の収益性は厳しくなりやすい。都市が大きければ安泰、という単純な話でもない。


4. ドームは街を作ったか

最後に、ドームが周辺の街をどう変えたかを見る。ここでも1で見た土地の来歴が効いてくる。

福岡

福岡がもっとも劇的だ。 地行浜は、ドーム・ホテル・商業施設をセットで開発する「ツインドームシティ」構想の舞台だった。屋内遊園地の建設は実現せず、ホークスタウンモールも役目を終えたが、跡地にはMARK IS 福岡ももちが入り、ヒルトン福岡シーホークとBOSS E・ZO FUKUOKAを含む一体の街区として今も機能している。構想は挫折したのに、街区としては残ったという、5大ドーム中もっとも複雑な経緯を持つ。

東京

東京は逆で、街が先にあり、ドームがそこに厚みを足した。 後楽園という遊園地・場外施設の集積地に、ラクーア、ホール、ホテルが加わって東京ドームシティという一体空間になった。ドーム単体ではなく、複合施設の中核部品として設計されている。

大阪と名古屋

大阪と名古屋は「工場跡地の再開発」の枠に収まる。 どちらも隣接して大型商業施設が入り、周辺は住宅地としての性格を強めた。ドームが街の性格を作り替えたというより、既存の街の更新に組み込まれた格好だ。

札幌

札幌は、周辺開発がほとんど進まなかった。 丘陵地に単体で置かれたため、ドームが街を呼び込む効果は限定的だった。展望台やスノーゾーンなど施設側で回遊性を作る工夫はあるが、それは裏を返せば、外に街がないから内側で完結させる必要があるということでもある。


まとめ

5大ドームを並べると、共通しているのは規模だけで、成り立ちはほぼ真逆と言っていいほど違う。

  • 東京:民間が自社球場を建て替えた。街が大きすぎて、ドームは街を変えなかった
  • 福岡:埋立地に街ごと作ろうとして半分失敗し、球団が施設を買い戻して立て直した
  • 名古屋:軍需・重工業の跡地を、地元財界が再利用した
  • 大阪:行政主導の第三セクターが破綻し、民間の手に渡って再生した
  • 札幌:国際大会招致が動機で、球団撤退後に街との関係を問い直されている

「どのドームが優れているか」ではなく、その街が何を持っていて、何を失って、その空白に何を建てたのか。5大ドームは、平成期の日本の都市がたどった道筋を、5つのやり方で記録した建物でもある。


※本記事の事実関係は各施設・自治体の公表資料および報道に基づく概要であり、経営状況や名称は変動する可能性があります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました